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BAKARU -バカル- クリエイティブとバカを発信する。

"バカル"とはバカを突き詰め、面白がること。

【ロゴを作ったのは同じデザイナー】POPEYE、anan、BRUTUS、ESSE、クロワッサン

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好きな雑誌はなんですか?と聞かれるとBRUTUSとかPOPEYE言いたい系男子のみなさん!

 

友達A「今月号のPOPEYE面白かったよねー」 
友達B「あそこの特集マジでやばかったよねー」

BRUTUSとかPOPEYEを好きな雑誌を言いたい系男子「・・・」

こんな場面に遭遇したら冷や汗もんですよね。

 

この知識を持っていればBRUTUSとかPOPEYEとかオシャレ本を読んでなくてもなんとかその場しのぎすることができますよー

(同じ人には一回だけしか通用しないので注意です)

 

このロゴも!あのロゴも!全て同じ人が作っていた

https://encrypted-tbn3.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSL9kE7aGvmuicF32XsHKE6NHcP0ZMGdqSG7Il0HXMIRYQCYgQiwA

 

アメリカの人気漫画ポパイから来ています。ポパイって最初読めなくて、ポップアイだと思ってました。 

 

http://sagami-shop.com/pic-labo/anan_logo.jpg

ちょいエロ、セクシーのテーマになると立ち読みする人をよく見かけます。アンアン。 

https://encrypted-tbn1.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcQAw4RyiWo_ZCO8_UKysKwvLm616DDqD8WnA_eJY31y3dgQuXJN3gK4cvU

ブルータスも漫画ポパイの登場人物の名前から来ています。ブルータスはポパイのライバルキャラでPOPEYEのライバル的な雑誌を作ろうとして名前がつけられました。

https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSr2xRM5MPF-9jNFKbZ0_hETYRzouSyntlFTi9FVhk4rHB_S7MFA4Sn-ziw

「いーえすえすいーえっせー」っでおなじみのESSE。

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcT4snXpE4WCmf1baSk7Egq5nEMCIEfZB5PaM15T9Gbh-B-5va1FsFpflGa1 

食べたい・・・クロワッサ・・・大人な女性が読んでるイメージのクロワッサン。

 

全部雰囲気は違うんですけど、オシャレだったりかっこよかったり強さを感じたりとセンスがにじみ出ているロゴですね。今紹介した雑誌のロゴは全てアートディレクター堀内誠一さんによって作られています。

 

http://img-cdn.jg.jugem.jp/74f/124240/20110630_2006968.jpg

他にも色んなロゴを制作しています。

センスの塊ってこういう人のことを言うんでしょう。

 

堀内誠一とは?

堀内さんってじゃあどんな人なの!?気になっちゃいますよね。

 

堀内 誠一(ほりうち せいいち、1932年12月20日 - 1987年8月17日)は、日本のグラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナー、絵本作家。

 

東京都生まれ。小学一年生の時に私家版雑誌を作りはじめる。最終学歴は日本大学付属第一商業高等学校中退。

1947年4月に14歳で伊勢丹百貨店に入社。
1948年現代美術会展激励賞。
1955年アド・センター株式会社設立。
1958年には内田路子と結婚。
1968年から翌1969年にかけては澁澤龍彦とともに季刊誌である「血と薔薇」を編集した。1974年フランスパリ郊外のアントニーに移住。パリ在住日本人向けミニコミ誌「イリフネ・デフネ」(現OVNI)創刊に参画。1981年まで定住。
1987年に下咽頭癌により死去。享年54。

(引用:wikipediaより)

 

小学一年生の時に既に雑誌を作り始める!?

内容まではわかりませんでしたが、誰か知ってる人いたら教えてほしいです。めちゃめちゃ気になるなぁ。

 

14歳で伊勢丹百貨店入社!?

伊勢丹ってあの老舗百貨店ですよね。14歳で伊勢丹に入るなんて今の時代じゃありえないことですよね。

現代にもこんな制度があってもいいんじゃないかなー?小学生だって社長になってる時代だもんね。

 

戦後、弱冠14歳にして伊勢丹百貨店の宣伝課へ入社、装飾係員としてウィンドウディスプレイや展覧会、PR誌「ブーケ」の制作に携わり、早熟な才能を開花させた。
勤続約10年を経た後、広告デザイン会社アド・センターの設立に参加し、本格的にデザインの仕事をスタート。

その後、さまざまな雑誌のアートディレクション、ロゴデザイン、絵本の挿画を手がけ、絵本作家としても活躍した。
この展覧会は、世の中にあふれる堀内氏の作品の数々を一堂に集めた展覧会である。

(引用:アート・ディレクター、堀内誠一の世界 (1/4)|アート|Excite ism(エキサイトイズム)より)

 

若くから活躍されていたんですねー。尊敬です。

 

自分が生まれる前には亡くなっていましたが、ロゴは今の時代も生き続けてるってすごいことですよね。 生きてたら絶対この人にロゴ依頼したいですよね。

 

亡くなっても語り継がれる堀内誠一さんのようになりたい!!!