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【田端文士村記念館】芥川龍之介作品が好きなら一度は訪れるべき!

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文豪好きなら誰しも一度は訪れてみたい場所それが田端文士村記念館である。 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/be/TabataBunshimuraKinenkan20120109.jpg/600px-TabataBunshimuraKinenkan20120109.jpg

田端文士村記念館とは?

http://www.kitabunka.or.jp/tabata/images/site_id.png

 

最近まで文士(ぶんし)ではなく文土(ぶんど)だと勘違いしてたのは秘密です。田端文士村記念館(たばたぶんしむらきねんかん)です。

 

田端には芥川龍之介をはじめたくさんの文豪、芸術家が住んでいました。

田端文士村記念館とは文士芸術家たちの作品、原稿、書簡等の資料を展示するとともに、講演会や散策会などの催しを通じて、その業績や暮らしぶりなどをご紹介しています。

常設展示室と企画展の2つのスペースに分かれています。

▼常設展示室入口
http://www.kitabunka.or.jp/tabata/images/exhibition/tenji_enter.png

▼芥川龍之介 田端の家復元模型
http://www.kitabunka.or.jp/tabata/images/exhibition/mokei.png
よく見ると芥川龍之介らしき人物が木登りをしています。

▼板谷波山工房にあった窯の煙突(一部)

http://www.kitabunka.or.jp/tabata/images/exhibition/itaya.png

 ▼企画展示スペース
http://www.kitabunka.or.jp/tabata/images/exhibition/tenji_room3.png

(引用:田端文士村記念館ホームページより) 

駅前だし、無料だし気軽に行くべし!行くべし!!

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田端にゆかりのある文士芸術家たち

え!?田端って何もないところでお馴染みだし、たいしたことないでしょ!?山手線で一番無名だしさ。

 

コラッツツつつt−ーーーーーー!!!

田端をバカにしたことのある人許しませんよ?田端って話題になることもないと思いますけどね。

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そんなにいるの!?って思うかもしれないんですけど、紹介しきれないくらいいっぱいいるんですよ。代表的な人を何人か紹介していきまっす。

芥川  龍之介 (あくたがわりゅうのすけ)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/34/Akutagawa.ryunosuke.jpg

明治25年(1892)~昭和2年(1927) 小説家 東京都 中央区出身。
大正3年、一家で田端435(現 1-20)番地に新築転入。東京帝国大学時代、久米正 雄、菊池寛、山本有三らと第三・四次『新思潮』を創刊。

夏目漱石門下に加わり、「羅生門」「」等を次々 と発表、一躍文壇の寵児となる。たぐいまれな才 気と下町人特有の世話好きな性格は多くの人々を ひきつけ、田端文士芸術家村の中心的人物として 大きな役割を果たす
昭和2年7月、「唯ぼんやりし た不安」という言葉を遺して自らの命を絶つ。

田端の芸術家といえばもちろんこの人といえるでしょう。現在では「田端の王様」とも言われています。

 

岩田  専太郎 (いわた せんたろう)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0e/Iwata_Sentaro_and_Naruse_Mikio.JPG/440px-Iwata_Sentaro_and_Naruse_Mikio.JPG

明治34年(1901)~昭和49年(1974) 挿絵画家 東京都 台東区出身。
大正15年、田端476(現5-2) 番地、昭和6年、404(現1-23)番地に居住。
吉川英治「鳴門秘帖」などに挿絵を描く。

新聞、雑誌を舞台に、多彩なジャンルの第一線で挿絵画家として活 躍、江戸浮世絵最後の美人画家とうたわれ、「専太郎ばり」の画風で知られた。長年の挿絵、表紙絵の功績により、昭和29年菊池寛賞、昭和36年紫綬褒 章受章。

押川 春浪(おしかわ しゅんろう)

http://youyou8.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/11/05/photo.jpg

明治9年(1876)~大正3年(1914) 冒険小説家 愛知県松山市出身。大正3年、田端494 ( 現5-3)番地に転入するも、数か月後に没する。

東京専門学校(現早稲田大学)在学中に「海島冒険奇譚・海底 軍艦」を発表。当時の科学思想を盛った空想冒険 小説家として名をあげ、SF小説の先駆となる。小杉放庵らと雑誌『武侠世界』を創刊。

田端からSFが生まれたと言っても過言ではありませんね。

小杉 放庵(こすぎ ほうあん)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b7/Kosugi_Hoan.JPG/400px-Kosugi_Hoan.JPG

明治14年(1881)~昭和39年(1964) 洋画家・日本画家 治明。栃木県出身、明治33年 田端163(現3-4 番地。沢田家寄宿)同40年 155(現3-16)番地(谷田川岬)に新築転居。

明治35年、太平洋画会会員となる。雑誌『方寸』の同人として画文双方で活躍。明治43・44年頃、 山本鼎・森田恒友らとポプラ倶楽部を創設。渡欧後、 横山大観に請われて再興日本美術院洋画部を主宰。 大正12年まで「未醒」と号す。晩年は俳味の強い日 本画に転じる。鹿島龍蔵の援助を受け「春陽会」を 創立。

香取 正彦(かとり まさひこ) 

http://202.209.73.88/users/jit/06jinbutu/62gazo/62thumb/01-09.jpg

明治32年(1899)~昭和63年(1988) 鋳金家 東京都 文京区出身。香取秀真の長男として誕生。

昭和6年、秀真宅から独立し、田端500 (現2-10)番地に転居。帝展、日展などで活躍。昭和28年、日 本芸術院賞受賞。昭和42年、広島平和の鐘を制作・ 寄進。「平和余韻の鐘」と銘うった梵鐘づくりに生涯 をささげ、全国各地に150を超える名鐘を残す。人間国宝に認定。

菊池 寛(きくち かん)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4d/Kan_Kikuchi_smoking.jpg

明治21年(1888)~昭和23年(1948) 小説家・劇作家 香川県出身。大正12年、田端523(現5-5)番地(室 生犀星転出の空家)に転入。

芥川龍之介らと第三・ 四次『新思潮』を創刊。「藤十郎の恋」「父帰る」など の戯曲も発表し文壇に清新な風を送る。
文芸春秋 社を起こし、芥川賞や直木賞創設による後進の育 成など、文化活動にも幅広い功績を残す。

本名は菊池寛(かん)ではなく、菊池寛(ひろし)です。

サトウ ハチロー

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明治36年(1903)~昭和48年(1973) 詩人・小説家 東京都 新宿区出身。正岡子規門下の佐藤紅緑の 長男として誕生。大正9年頃、福士幸次郎宅田端 543(現5-7)番地に寄宿。西条八十に師事し、児童 雑誌『金の船』などに童謡を発表、詩壇に地位を確 立。昭和初期から、菊田一夫らと浅草軽演劇の台 本を書き、「りんごの唄」、「長崎の鐘」などの歌謡曲 にも筆をそめる。北区立滝野川第四小学校の校歌 を作詞した。作家・佐藤愛子は妹にあたる。

この方私の母校の校歌を作ってくれた方です。りんごの唄も作った方ですねー。あーかーいりんごーに〜♪ってやつです。

www.youtube.com

始まりがサザエさんに聞こえましたね、はい。

萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/Hagiwara_Sakutaro.jpg/400px-Hagiwara_Sakutaro.jpg

明治19年(1886)~昭和17年(1942) 詩人 群馬県出身。 大正14年、 室生犀星の世話で田端 311(現2-4)番地に 8か月間居住。

犀星の詩「小景異 情」に感動し、親交がはじまる。大正 5年には犀星 と二人で雑誌『感情』を創刊。翌年、第一詩集『月に 吠える』を刊行。口語自由詩の実質的な完成をみ る。鋭敏な感覚で現代人の心の奥底を描き、詩壇 にゆるぎない地歩を築く。

平塚 らいてう(ひらつか らいちょう)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f3/Raicho_Hiratsuka.jpg

明治19年(1886)~昭和46年(1971) 社会運動家・評論家 都京東 正大。千代田区出身 。大正7年、田端544(現2-12番地)に転入。

明治44年、婦人雑誌『青鞜』を創刊。 大正3年、年下の画家・奥村博史と同棲。主に婦人 問題評論家として活躍。大正9年、市川房枝らと 新婦人協会を結成。昭和5年、無産婦人芸術連盟 に参加。国際民主婦人連盟副会長、日本婦人団体 連合会名誉会長など歴任。 

土屋 文明(つちや ぶんめい)

http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/person_img/124bunmei.jpg

明治23年(1890)~平成 2年( 199 0) 歌人 群馬県出身。大正14年、田端500(現 2-1 0)番地に 転入。

中学卒業とともに伊藤左千夫に師事。斎藤 茂吉らと『アララギ』創刊に参加。芥川龍之介らと 第三・四次『新思潮』を創刊。昭和 5年から『アララ ギ』編集責任者。文明調と呼ばれる独自の歌風を 築く。歌論書、万葉集研究書も刊行、文化勲章受章。

鹿島 龍蔵(かしま たつぞう)

http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki38/images/img38-04b.jpg

明治13年(1880)~昭和29年(1954) 実業家 東京都 江東区出身。明治45年、田端650(現6-6) 番地に転入。鹿島組(現鹿島建設)取締役。書、篆刻、 謡、舞、長唄、狂言、テニス、スケートなど多趣味で、 田端の人々との交わりは深い。「春陽会」や「道閑会」などに参加し、田端文士芸術家のスポンサー的 存在となった。雅号・唐升。

鹿島建設も田端から生まれただと!?知りませんでしたねー。

 

今上げてきた人でもかなりの芸術家がいたことがわかります。

他にも、
石井  鶴三、板谷  波山、池田  勇八、石井  柏亭、香取 秀真、川口 松太郎 、佐多 稲子、鹿児島 寿蔵、小林 秀雄、小林 秀雄、小穴 隆一、岡倉 天心、 竹久 夢二、直木 三十五、野口 雨情、堆朱 楊成、内藤 春治、浜田 庄司、中野 重治、林 芙美子、田河 水泡、堀 辰雄、村山 槐多、山本 鼎、吉村 芳松、下島 勲、村上 元三、吉田 三郎、広瀬 雄
など挙げだしたらホントにキリがありません。

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正岡子規のお墓も田端にある 

正岡子規(まさおか しき)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e6/Masaoka_Shiki.jpg/400px-Masaoka_Shiki.jpg

1867年10月14日(慶応3年9月17日) - 1902年(明治35年)9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。

俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。 

▼ここの大龍寺に墓石があります。

www.tesshow.jp

正岡子規を調べていたらこんなまとめを発見してしまいました。

matome.naver.jp

ちなみに野球の「バッター」「ランナー」「ショート」などの外来語を「打者」「走者」「遊撃手」と日本語訳したのも正岡子規です。

よく「野球」の名付け親が正岡子規と言われますが、実際は中馬 庚が野球と名付けました。

 こんな視点から偉人を見るのも面白いですね。 

田端文士村に訪れた人たちを見てみよー

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文士村の方に話を聞いたところ、全国からこの「田端文士村」を訪れる人がいるとのことでした。好きな作家が住んでいた場所をめぐるとか楽しそうですもんね。

田端の駅前にはこのような看板などもあり、散歩しても楽しい場所です。 

なぜ田端に芸術家が多いのか?

今では山手線の中では一番無名との名高い田端ですが、なぜ芸術家が多いのか考えてみました。

www.bakaru.net

今の田端を見れば分かるんですけど、山手線が通っているとは思えないくらい静かな街なんです。治安もよく、非常に落ち着いています。全然栄えてませんが人は多いんだよなぁ。

芸術活動って静かな場所の方がはかどりそうじゃないですか。新宿や渋谷などの繁華街だとなんかいいもの生まれなそうですよね。

 

アートの島として有名な直島も落ち着いた海の雰囲気を感じられるいい場所です。

芥川龍之介は上野の東京美術学校(現 東京芸術大学)に通っていたんですよね。アクセスの良さから田端に芸術家が住みだしたと考えられます。

閑静な町とアクセスの良さ、今でも田端の特徴として残るこの2点が素晴らしい芸術家たちを生み出したのではないでしょうか?

 

田端はこれからはアートの町として発展するのもありかもしれませんね。

 

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施設情報

【開館時間】午前10時~午後5時(入館は4時30分まで)
休 館 日月曜日/祝日の翌日/年末年始(12月29日~1月3日)
ただし、月曜日が祝日の時は火曜日と水曜日に休館いたします。 また、祝日の翌日が土日の場合は翌週火曜日に休館日を振り替えます。 そのほか、展示替えのため臨時に休館することがあります。 詳細は、こちらをご覧ください。
入 館 料無料
所 在 地〒114-0014 東京都北区田端6-1-2 TEL 03(5685)5171 FAX 03(5685)5662
アクセスJR京浜東北線・山手線 田端駅北口から徒歩2分

 

 

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